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1944年東京生まれ。現在、神奈川県藤沢市から毎日、東京都墨田区の当社に片道1時間40分かけて通勤。
ソネット株式会社: 売上12億円から4億円まで売上が毎年ばらつく状況。社員6名。繁忙時はアルバイト、サードパーティ企業が参加。優良企業と自負。販売製品はDSL装置、モデム、通信機、光ファイバーサービス。東京大學地震研究所の光ファイバーは当社が構築、サービスを行っている。その他、ヤフー!BBのバックボーン、大手企業の光ファイバサービス。納入先は多岐にわたる。旧第一種電気通信事業者(現在、総務省の認定電気通信事業者)
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下町の墨田区に活動の本拠をおく。
ダイエーの王監督の自宅から100mぐらいの所に居た。同じ小学校。王監督が高校の頃毎日入りに来ていた泉湯という銭湯は会社の4軒先。小学校のころ銭湯がプール代わり。近所の子供たちと遊びまわった当時、王選手が風呂に入りに来ていた。
都立両国高校(旧府立三中)卒業
東大入試に何度か落ちて慶応大学経済学部に入学。同大學卒業後、NOKに入社、同時に中央大學商学部の第二部(夜間)に入学して会計学を学ぶ。学園紛争で中退。
その後リコーに移り、電子機器、ファクシミリの輸出部門に勤務。11年ほど勤務後、独立してモデムの輸入商社を始める。
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・1988年 |
パラダイン社の出資を得て日本パラダイン株式会社の創設。一人でモデム、通信機の販売会社を設立し事業を開始。1988年までに売上はゼロから28億円(年商)に成長。社員数70名、東京、名古屋、大阪、福岡に展開。NTTへモデムの納入、松下電器産業の全体システムなどを受注。急速に売上が伸びた。 |
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パラダイン社はAT&Tに吸収され、日本法人もAT&Tの傘下の子会社になる。同社の代表取締役社長、会長に就任。 |
・1991年 |
AT&T社の32万人の社員から35名を選び缶詰教育をする、Advanced
Management Programの参加者に選ばれる。
AT&T社のADSLチップの普及担当になる。日本にADSLチップの紹介を開始。 |
・1992年 |
AT&T社のスピンアウトした友人が社長になったADSLの米国の老舗Westell Technology社の日本の総代理店として事業を開始するために日本AT&T
Paradyne社長を退任。現在のソネット株式会社を創業。退職金を元手にADSLの販売を開始した。 |
・1995年 |
品川プリンスホテルでADSLによる映画を電話線で送るデモを行った。 |
・1995年 |
年末、ソフトバンクの孫社長からADSLのテレビ放映装置一式を受注した。 |
・1997年 |
郵政省 xDSL部会委員 |
・1998年 |
郵政省、文部省共同主催の学校インターネット委員。 |
・1998年 |
NTTがADSLの商用実験を開始。NTTにADSL装置などを納入。実際に大阪、東京でNTTの人たちと設置に駆け回る。 |
・1999年 |
東京めたりっく通信を創業。ベンチャーキャピタルから60億円の出資を受けて、東京都内に50万回線の基本設備を展開して2年間で100億円の投資を行った。差額40億円の調達が不可能になる。 |
・2001年 |
ソフトバンクに売却。同社の役員を退任。ソネット株式会社へ戻る。 |
・2003年 |
テレビ電話の開発をアナログデバイセズ社と台湾メーカと開始。 |
・2004年 |
テレビ電話事業を開始。現在に至る。 |
・2004年 |
元リコーの常務、浅川俊文氏(理学博士、リコーに勤務時、任天堂ファミコンのチップを設計、開発、製造)と共にA.S.K.株式会社(払い込み資本金5000万円)を設立。浅川氏が代表取締役、小林が社長に就任。シリコン単結晶薄膜の開発製造を開始。 |
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